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ハートのアイコン ロボットとは何か――人の心を映す鏡 - 情報考学 Passion For The Future 

ロボットとは何か――人の心を映す鏡 - 情報考学 Passion For The Future
| BOOKS | 01:58 | - | edit | Mint Cream |

ハートのアイコン 「意志のサイエンス」 

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(2007-10-25)
Amazonランキング: 138270位
面白いが、どっちつかずな印象も
"intention"(想念)の力を侮ることなかれ
究極のトンデモ本

これはトンデモ本でしょうか。

バイオフィードバックを使ったリラックス・集中法の話も下に転載する文章の中にちらっと出てきますけど、最近「クローズアップ現代」で、実際のスポーツ選手、アーチェリーの選手が集中するときの脳波を視覚化する装置を装着してフィードバックするやり方が導入されて効果を上げている、という話をやっていたみたいなので(番宣だけちらっと見ました)あながちデタラメともいえないのではないかとは思います。

これはバイオフィードバックとは別の話ですけど。

この前は演技者が演じる場合はむしろのめり込まない方がいいというような意味のことを書きました。
演技者が自分の経験を演技に落とし込むのはむしろ練習段階の方がいいのかなと。自分ではそんな感じのフィーリングで書いたんですが、それは別にいいです。自分でもどうなのかなとは思います。お客さんが感情移入してくれるのはその場で感極まっている人間の姿だったりするからです。

あくまでもスポーツの技の精度や成功率を高めたいと考えるアスリートの場合と言えばいいのかな。

メンタルリハーサルという考えがあるということですが、それは客観的に自分がどう動いているかを外から見てイメージするではなくて、思いっきり主観的に実際の自分の身体感覚(痛いとか目が回るとか極限時の呼吸の状態とか)をリハーサルすることの大切さのことを言っているのかもしれません。

もちろん、身体表現を志す人は、客観的に鏡などを見ながらレッスンを積んでフィードバックしていくんでしょうけど、本番の時に鏡はないわけだから。

それとフィギュアの場合だったら、SP、FSの(中があいたとしても)2日間の競技であると言うことがまたその難しさ(審判の判定に対する感情とか欲のコントロールとか)が実際にどうかは別としてあるだろうと思う。

スローモーションでイメージしても効果がないという説も。本当でしょうか。

  一流のアスリートたちは、自分のパフォーマンスを細分化して、具体的な向上に努めます。一分の隙もないパフォーマンスを目指すのです。彼らは、最もつらい瞬間をイメージして、それに対処するための戦略を練ります。筋肉の痙攣や、審判の不当な判定といった逆境で、どう事態をコントロールすればいいのかを考えるのです。


 勝利を得られるかどうかは、いかに具体的に心の中でリハーサルができるかにかかっています。ベテランのアスリートたちは、心の中に鮮明で詳細なイメージを描き、競技の間中それを心の目で見続けます。心の中で勝利を手にするリハーサルをすることで、それが現実になるのです。一流の競技者たちは、自分の感情、特に勝ったときの興奮を前もってリハーサルしています。両親の感動、輝くメダル、祝賀会、そして報奨などの様子も具体的にイメージします。歓声は、自分のためだけにあると思いこむのです。

 中略

 アスリートの中には、実際に競技が行われる場所を前もって見て、そこにいる自分をイメージする人もいます。開催地に関する知識をメンタル・リハーサルに織り込んだほうが、より良い結果が生まれやすいようです。

 アメリカンフットボールチームのピッツバーグ・スティーラーズのロッキー・ブレイアは、想念の力を使ってスティーラーズを優勝に導きました。彼のやり方は、具体的なプレイのイメージで心を満たすものです。彼は、試合の二週間前から毎日、朝目覚めた直後、食事の前、眠りにつく直前に、メンタル・リハーサルを行いました。試合の直前にも細かな動きを綿密に思い描き、ベンチに座っている間も、心の中で三〇回走り、三〇回パスをしました。フィールドで何が起ころうと、彼の心は揺るがなかったのです。

 どんなやり方をするかは、スポーツの種類によって異なります。メンタル・リハーサルが最も効果を発揮するのは、エアロビクスのような、決まった動きを素早く行なう能力を要求されるスポーツです。ウェイト・リフティングで最も良い結果が出るのは、不可能だと思うような重量を上げている自分を、心の中でイメージした後です。

 従来、スポーツを行なうのに最も適しているのはリラックスした状態だと言われてきました。しかし、想念の研究をした私が思うに、リラックスした状態というのは必ずしも好ましいものではないようです。空手の場合、念じる前にリラックスをしても、パフォーマンスの向上にはつながりませんでした。リラックスが有効なのは、本人が緊張していて、落ち着く必要があるときだけでした。リラクゼーションや催眠術が効果を発揮したのは、バスケットボールのシュートやゴルフのパターを行なうときです。一流のアスリートというのは、デヴィッドソンの実験に参加した僧たちと同様、自ら意識が研ぎ澄まされた状態に導く術を身につけているのです。

中略

 とはいえ、精神と肉体の鍛錬にはいくつか大きな違いがあります。肉体の場合、度の過ぎた鍛錬は疲労につながり、電気的な干渉や妨害が起こる可能性があります。精神の場合、どれだけ鍛錬を積んでも、障害は起こりません。

 もうひとつの違いは、効果の大きさです。精神の鍛錬と肉体の鍛錬によるものとでは、神経筋パターンが若干異なるのです。双方の鍛錬とも同じ筋肉パターンを形成しますが、その大きさは精神の鍛錬によるもののほうが僅かに小さいようです。

 メンタル・リハーサルの効果を引き出すためには、実際に行なうのと同じ速度で動きをイメージしなくてはいけません。重要な部分などはスローモーションでイメージしたほうが、効果がありそうな気がしてしまいますが、それは見当違いです。EMGを付けたスキー選手が自分の滑りをスローモーションでイメージすると、筋肉反応のパターンが実際に普通のペースで滑る場合とは違ってきます。脳と筋肉の活動は、スローモーションでイメージしただけのときも、実際にスローモーションで滑ったときも、そっくり同じなのです。同じ作業をしても、スローモーションで行なった場合と通常のペースで行なった場合とでは、神経筋のパターンがまったく異なります。

 メンタル・リハーサルには、クロス・トレーニングはあり得ません。想念が楽にするのは、心の中でリハーサルをされたスポーツだけであり、たとえ同じ種類の筋肉を使うものであっても、別のスポーツに転換することはできません。


でも、ライサのフリーの演技を観たら、もうどうでも良くなりましたね。かなりよかったので。もう好きなようにすればいいと思った。フィギュアスケートのオリンピック選手ですよ。こういう本で研究される登場人物さんです。
| BOOKS | 20:30 | - | edit | Mint Cream |

ハートのアイコン 実践ヴィパッサナー瞑想「呼吸による癒し」ラリー・ローゼンバーグ 

けっこうこの手の本はたくさん持っているんですが、この本は去年の夏に買ったものかな。

いつか必要になるんじゃないかと思っていたからか(笑)なんなのかわかりませんけど、以前このブログでも紹介したことのあるヴィパッサナー瞑想について書かれた本です。わたしは瞑想をやったことはないのですが、本は好きで読みます。今日なんとなくぱっと開いたページに書いてあったことを引用(というか転載ですね)させていただきます。全部読まないとわからないと思いますが、自分のためのメモなので。

あとで消すかも知れないです。興味のあるかたはご覧ください。
 このようにすべての甘受が苦しみへと続きます。しかし不快な感受の方がやっかいです。なぜなら、不快な感受の対処法は、直感とは正反対なものだからです。嫌な感じを避けるのは自然なことのように思えます。私たちはそうしながら一生を過ごします。それに、私たちを苦しませたくないと思う善意の両親たちは、こう言って励ましてくれました「悲しんでなんかいないで。ほら、笑顔を見せて。クッキーでもお食べなさい」。それに対してスピリチュアルな道は、これまで避けるのが常だった苦しみを体験するように求めますから、さらなる苦しみを創り出しているように思えてきます。もちろん実際には、この注意払うことが苦しみから抜け出す道なのですが。

 私たちは本能的に、それ以外のことなら何でもやります。たとえば、多くの不快な感受の裏に潜んでいる恐怖感を取り上げて見てみましょう。それはおそらく、あの十七歳の男の子が抱えていたほとんどの問題の背後に潜んでいたにちがいありません。私たちがよくやることのひとつは、それを否認することです。私たちはその専門家のようなものです。私たちの多くが恐怖を大変うまく否認していますので、ほとんど自覚できないほどです。恐怖感があるかどうかさえわからなくなってしまいます。

 私たちはそれを抑圧したりもします。それから逃避します。数えきらないほどの逃避方法を見つけ出します。主だったもののひとつは、特に知的な人にありがちですが、それを理論化してしまうことです。「これが恐怖に関してフロイドが言ったことである。ユングはこうである。ブッダの言ったことはここにあるとおりである」。しかし、どんなに言葉で説明したところで、自由にはなれません。ある禅師が言ったように、それはただ月を指す指にすぎません。月を経験しなけらばなりません。特に瞑想に関する面接の時には、誰でも恐怖について多くのことを知っているかのごとく知的に話すものです。しかし実際に彼らが知っているのは単なる説明の域を出ず、そんなものでは恐怖が実際に生じているとき、そのエネルギーを自覚するのに役立つことはほとんどありません。

 自覚するかわりに、たいていの場合は恐怖におぼれてしまいます。瞑想の時に思考に囚われて呼吸から離れてしまったように、恐怖に囚われてしまったのです。みんな後になると、それを再現して、起こったことを正確に理解し、恐怖に関して知的に語ります。しかし恐怖が起こっていたまさにそのとき、そこにはいなかったのです。

 古代インドの瞑想の師匠たちはしばしば恐怖を、「薄暗い部屋の中でロープを見て蛇だと思うこと」にたとえています。私たちの恐怖の大部分はそんなものです。誤って認知することから始まって、ひとつの怯えた思考が次のものへと続いていきます。修行には明察が必要です。ロープはロープ蛇は蛇です。もしも本当に部屋の中に蛇がいたのならば、恐怖するのは相応しい対応かもしれません。しかし私たちの恐怖の多くはロープに対してのものであり、その正体を知ろうともしてきませんでした。そうして私たちは対処したり、隠したり、否認したり、込み入った言葉による説明をでっち上げたりしながら人生を送っているのです。

 恐怖に対する一般的な反応として、私たちは戦場を創り出します。恐怖は恐怖から自由になりたいという激しい熱望と戦争しています。そのプロセスが発生している心と身体がその戦場です。私たちは自分をがんじがらめにして、裏表をひっくり返しながらその戦争と闘っています。ここでの修行は、そのプロセスを開くこと、そのすべてが自分の一部であることを理解することです。恐怖、恐怖から自由になりたいという熱望、心と身体、それらを観察している気づき、その気づきを増進させる意識的な呼吸、私たちはそれらのすべてと共に坐ります。すべてがひとつのことです。

 恐怖のような強い感情に関しては、まず最初は自分がどうやって逃げ出そうとしているかを観察するのがせいぜいでしょう。それも価値のあることです。否認したり、抑圧したり、説明したり、逃げ出したり、空想している自分を観察するのです。これらのことを巻き込まれることなく繰り返し見つめているうちに、心の方が疲れてしまいます。やがてある日 ― 無理にそうすることはできませんが ― 恐怖が生じても、注意がそれをサッと出迎えて、ひとつになり、恐怖がその花を開くに任せられるようになります。これこそが恐怖が長い間ずっと待ち望んでいたことだったのです。

蛇がこわくない人には関係ない話かな。

アマゾンのレビューにあった10日間の沈黙と物理的な空間が必要っていうのは去年読んだときには気づかなかった。
| BOOKS | 13:27 | - | edit | Mint Cream |

ハートのアイコン 「何も選ばない」生き方のすすめ 

「何も選ばない」生き方のすすめ:NBonline(日経ビジネス オンライン)
| BOOKS | 23:02 | - | edit | Mint Cream |

ハートのアイコン ユングのタイプ論 

ユング心理学入門
ユング心理学入門
河合 隼雄

7月ですが涼しいですね。きのうなんて寒いくらいでした。

河合隼雄さん亡くなられたんですね。

河合隼雄さんのおかげで、わたしはユングのタイプ論を知ったような感じなので、ありがたかったです。ユングも河合隼雄もあまりにも偉大なので、わたしがいうのも変なのですが。

近年は、男女の機能的な差異がクローズアップされていますが、たしかに女性には女性にありがちな傾向はあると思います。でも、同じ女性として、なんとなく見ていても、女性の中にもいろいいろなタイプがいることも確かです。

タイプ論は、ほんとうに簡単な類型ですが、異なるタイプの人たちが相互に尊重したり理解したりすることの役に立つんじゃないかと思います。

タイプ論はネットで調べると出てくると思います。

最近は、エニアグラムとかエゴグラムとか、おそらくタイプ論を下敷きにしたような、もっと複雑な高機能分類もあるみたいですが、ユングの場合、8つの性格傾向について、分析しています。

大きくは内向、外向という性格分類があり、そのなかでも4つの分類にわけています。
思考←→感情
感覚←→直観

ここでいわれる内向型かつ感情型の人は典型的な女性らしいタイプといわれるのではないでしょうか。

ユングは感覚と直感は相反するものとしてとらえていたみたいです。感覚(センス)がいい人は細部にとらわれやすく直観(時間的空間的に全体を俯瞰し、現在の見た目に惑わされず、時間を飛び越えて予測したりする能力)が未分化(未発達)という考えかたみたいです。

思考型の人は自分自身感情を表現することが苦手なので、感情豊かな人が苦手ながら魅力も感じている。

内向的な人は、こころのどこかで外向的な人をおそれると同時に、あこがれをもって見ている。

といった感じに、人生で出くわす場面によって、同じ内向的な人でも、別人かと思うことをやってのけて、自分でも驚くことがあったりする。どれかひとつの機能だけで渡っていけるわけでもなく、じぶんとは相反する人との出会いをとおし、人生そのものが、たがいの未分化の機能を発達させるために用意された舞台である、と思わせるような、魅力的でダイナミックな理論で、この本を読んだ当時は目からうろこでした(わたしが読んだのは2000年前後)。あなたの苦手なあの人は、眠っている自分の一面を呼び覚ます存在かもしれない。彼ら彼女らの振るまいを目にすることが後の自分の人生のある局面で役に立ってくれるかも知れない、と考えたものです。人は決してひとりなどではないというのはこのことではないだろうか。

ユングの代表的な学説はタイプ論だけではなく、むしろタイプ論はユングにしてはめずらしく端的でわかりやすいものだったことも惹きつけられた要因だったとは思います。

ネットをはじめたばかりの時、いろいろな本から引用というか転載して、タイプ論の(小さな)ホームページをつくったことが思い出されます。パソコンの中を探せばみつかると思いますが、もう、それはやめておきます。

本格的に心理学を学んだことはないのですが、そういう考えかたもあるよなと、いまもときどき思い出します。

河合隼雄さんのおかげかな。

変な風に悟っちゃった感じはあるかも知れません。ただ、

いま、この学説については、じぶんとしては「直観」を4つの分類の中に含めてしまうのはどうなのかな?とちょっと思っています。

少なくとも思考・感情・感覚という3つがあるとして、それがバランスよく発達することで直観(直感)が得られるのではないか?と思っているからです。直観は何かに相反するものではないと感じています。
| BOOKS | 22:16 | - | edit | Mint Cream |


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